散歩をしていたとき、ふと池のそばで立ち止まりました。
その理由は、静かにたたずむ一羽のカルガモ。まわりに仲間はいなくて、ぽつんと、まるで考えごとをしているかのように見えました。
その姿を見て、「寂しそうだな」と感じたと同時に、なぜか胸がチクンとしました。
私たち人間も、誰かと一緒にいたとしても、ふと孤独を感じる瞬間があります。
それは、弱さではなく、とても自然なこと。
今日はそんな「寂しさ」との向き合い方について、自分の心と対話したことを綴ってみます。
ひとりのカルガモが教えてくれた「寂しさ」の存在
なぜか心がざわついた、あの光景
何気ない景色の中で、その一羽のカルガモの姿だけが妙に目に残りました。
まわりの木々や水面の光は穏やかなのに、その子だけが「ぽつん」としていて、
私には「ひとりでがんばってる」ように見えたんです。
でもそれは、もしかしたら私自身の心を映し出していたのかもしれません。
「最近、誰かと深く話していないな」
「ちょっと疲れているのに、気づかないふりをしていたかも」
そんな思いが、胸の奥からじわじわと浮かび上がってきました。
寂しさは、“今ここ”にちゃんと生きているサイン
私たちはつい、「ポジティブでいなければ」とか、「元気じゃないといけない」と思いがちです。
でも、本当はそうじゃない。
寂しさを感じるのは、それだけ感受性があるということ。
心が、ちゃんと何かを受け取っている証です。
大切なのは、その気持ちに「いい・悪い」のラベルを貼らず、
「そう感じたんだね」と、ただそっと寄り添うこと。
その小さな肯定が、心をじんわりと癒してくれるんだと思います。
寂しさを否定せず、そっと抱きしめるように
感情を押し込めるクセに気づく
私はこれまで、どちらかというと「がんばり屋」でした。
落ち込んでいる暇があったら仕事を進めよう、と自分に言い聞かせてきたし、
人前では「大丈夫」と笑っていたことも多かったです。
でも、感情って、押し込めたからといって消えるわけじゃないんですよね。
押し込めたものは、静かに心の奥で重たくなって、ある日ふっと溢れてしまう。
「寂しいな」と感じたときは、それを認めることが、むしろ心の安定につながる。
そんなふうに、少しずつ学んできた気がします。
心に空いたすきまは、“自分とつながるチャンス”
寂しさは決して悪者ではありません。
誰かと比べたり、誰かに満たしてもらおうとするよりも、そのすきまに、自分自身の言葉やまなざしを注いであげること。
「どうしたの?」
「最近、ちょっと頑張りすぎてた?」
そんなふうに、自分自身に話しかけるような時間を持つと、不思議と心があたたかくなってくることがあります。
コーチングは、そんな気持ちと話す場所でもある
話すだけで、心がふっと軽くなることがある
コーチングというと、目標設定や行動支援をイメージする方も多いかもしれません。
でも、私が届けたいコーチングは、それだけじゃありません。
「なんだか最近、心が重たい」
「誰かに話を聞いてほしい」
そんなふうに感じたときこそ、コーチングは力になります。
誰かに話すことで、感情が整理され、自分の本音に気づける。
そのプロセスが、気持ちを前向きに整えてくれるのです。
「あなたのままで大丈夫」と伝えたい
私自身、誰にも言えない思いを抱えたときに救われたのは、
「否定せずに聞いてくれた人の存在」でした。
だから今、私がその存在になれたらいいなと思っています。
どんな感情も、どんな思いも、ちゃんと意味がある。
そう信じて、そっと隣にいるような時間を届けたいです。
まとめ
今日、散歩の途中で出会った一羽のカルガモ。
その静かな背中が、私にたくさんのことを語りかけてくれました。
日常の中にある小さな感情に目を向けることは、
自分自身とのつながりを取り戻す大切な時間です。
もし今、少しでも心がざわざわしていたり、誰かと話したい気持ちがあるなら、
その声に優しく耳を傾けてみてください。
あなたの気持ちは、ちゃんと大切にされていいものです。
私も、そっとお話を聞く準備ができています。
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